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なぜ、夏の甲子園とセンバツ、同種2つの大会があるのか?甲子園(高校野球全国大会)の起源から見る。

高校野球、夏の甲子園が始まってから、今年(2016年)で101年目になります。

第1 回大会が開催されたのは1915(大正4)年ということです。

すごい歴史ですね。

でも、どうして、
・夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)
・センバツ(選抜高校野球大会)
の同種の大会が2つ並列で開催されているのでしょうか?

なかなか真面目に論じている文献はなかったのですが、見つけました。

参照するのは、
『高校野球の全国大会の発生起源についての考察──新聞社間の競争が促進剤になった──玉置通夫』
です。

①そもそも野球が伝わったのは…
諸説あるらしいのですが、

1872(同5)年に東京の第一大学区第一番中学(一番中=後の第一高等学校)の学生に対し,
教師のウイルソンが野球を手ほどきした説


が有力とのこと。明治5年のことです。後43年後に大会が開かれるわけですが、
【野球】という競技がそこそこ広がるまでに、43年はかかった、といえるでしょう。

“国内で最初に盛んになったのは,米国人が多くいた国立の中学校や私立のミッションスクールだった。
とくに,明治20 年代までに,第一高等学校(一高)や第三高等学校(三高)などの旧制高等学校,青山学院や明治学院,学習院,慶應,同志社で野球が盛んになり,これらの学校の生徒たちが夏休みに母校の中学校で後輩たちに野球を教えることによって,明治30年代後半には全国の中学校にも野球が伝播し,浸透して行った。また,このころになると,大学でも,早稲田や関西学院,桃山学院でも野球部が創設されて力を蓄え,一高や三高に替わって早稲田と慶應が台頭して米国遠征まで行なうようになり,完全に勢力図を書き換えた。


と広がりを見せていた【野球】に対し、全国大会をやろう、という声は一部からあがっていたようです。

②全国大会が開かれるまでの経緯

ⅰ:まず、
「近県連合野球大会」と称し,1901(明治34)年から毎年京都市の三高グラウンドで行なわれていた。

はじめの大きな大会のようです。夏の甲子園開始から14年前の出来事です。

ⅱ:しかし、近県連合野球大会は財政難に陥ってしまいます。
運営資金が逼迫して単独開催も限界に達していた。そこで,1914(大正3)年に,大阪毎日新聞(大毎=現毎日新聞
大阪本社)と大阪朝日新聞(朝日)に救済を求めた。


ということですが、あっさり両社には断られてしまうようです。

その理由については,大毎が「主催している関西中等学校庭球※1選手権大会が盛況であり,野球まで手が回らない」との趣旨だった”※1:テニス

  
朝日についてはわからないようですが、なんとも残念です。

ですが、この出来事、全国野球大会が開催される1年前の話なのです。

ⅲ:甲子園大会発祥の運動場となる現場担当と、朝日の担当者の間で再度全国大会の話が持ち上がる。

豊中運動場は1913(大正2)年に完成した陸上競技場で,その年10 月には日本オリンピック大会と称した陸上競技の全国大会が行なわれたほか,正方形の400 メートルのトラックの内側にあるフィールド部分を利用して日米学生野球などもあったものの,通年の施設稼働率が低く,なにか大きなスポーツイベントを摸索していたのだ。

これが夏の甲子園大会きっかけと言えばきっかけでしょうか。

ⅳ:そしてあっさりと、支援OKを出した朝日。

朝日にとって,大毎の動きは気にならないほうが可笑しい。ところが,大毎は中等学校野球絡みの話に対し,全く動きを見せていない。

このような競合に対する心理があった朝日。そして、

野球に関しては二の足を踏んでいるようだが,すでにテニス大会を成功させており,決して中等学校のスポーツ事業に関心がないわけではない,と類推できるはずだ。それならば,このまま放置しておくと大毎が野球に興味を持つ可能性も高い。

として、朝日は、夏の甲子園を全国大会として運営しビジネスを行うことに決めたのです。
注目度が高まれば、多くの広告収入を得ることができるが、注目度が必ず高まるかわからないリスクもあったはずです。
それでも、競合に先を行かれてしまう、という思いがこの決断に至ったのでしょう。

ⅴ:1915(大正4)年 全国高校野球選手権大会開催

という流れになっています。

先を行かれてしまった大毎の紙面はどんな反応だったのでしょうか。

ところが,紙面的には,朝日とさほどの遜色を感じられないくらい積極的に扱っている。さすがに事前記事こそないものの,大会初日は結構良い扱いをしている。「大阪朝日主催」と明記しており,試合の写真も有るし,戦評は朝日よりも丁寧だ。開会式
も手厚く,史上有名な村山社長の始球式写真も,少し角度は異なるものの,掲載されている。


やはり大毎も興味があったようですね。

そして、

大毎は朝日の大会が始まってから9 年後の1924(大正13)年,選抜中等学校野球(現選抜高校野球)を開催する。

大毎は、朝日の事業参入に遅れはしたものの、野球事業を開始すべく、選抜高校野球大会を開催したのです。

朝日と大毎、この2大出版社がライバル心をもっていたからこそ、2大会が並列で開催されることとなったようです。

それが約100年も続いていることにまた驚きですね。
それだけ、高校野球への国民的関心が高かったからでしょうか。
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